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先輩農家インタビュー
プロフィール
- 山本 智史さん
- 就農した年齢:25歳
- 同居家族:両親と妻と長女
- 出身:広島県
- 栽培品種:ピーマン
- 栽培面積:33a
鳥取県立農業大学校生のときに、たまたま研修先の新富町で、福山三義さん(受入農家)にピーマン栽培を教わったことが新規就農のキッカケ
- 広島から新富町に移住し、ピーマンで新規就農したキッカケは?
- 高校卒業後は、京都で働いていた時期もあるんですが、ある人の「これからは若者の農業進出がおもしろいよ」という言葉で農業に興味を持ち始めました。
21歳で鳥取県立農業大学校に入り、その研修先がたまたま新富町でした。研修は、ピーマン農家の福山三義さん(受入農家)のところで40日間の研修を受け、その際にピーマンや新富町の魅力を感じたことが、新規就農のキッカケです。
研修後は、鳥取県立農業大学校に戻りましたが、卒業後もう一度福山さんのところで学ばせてもらったのち、独立就農をしました。
移住・就農ができたのは福山さんや役場の方がサポートしてくれたおかげ。
今は両親も呼び寄せて一緒に営農。
- 独立するにあたり、手続きや農地探しは、どうしましたか?
- 移住後の研修の合間に、徐々に進めました。
研修先の福山さんが農地探しで周囲に声かけしてくれて、就農に関する勉強や申請書作成などは、新富町役場の担当職員さんが手厚くサポートしてくれました。
初めは、僕1人で就農したんですが、経営の目処が付いてきたので、広島から両親を呼び寄せて農業を手伝ってもらっています。
今は昨年結婚した妻も含めて、家族4人で一緒にやっています。
- 研修先の作物をそのまま栽培品目に選んだ理由は?
- ピーマンは自分に合っていると感じたんですよね。
キュウリは成長が早すぎるし、トマトのように色付く作物も難しい。ピーマンは収穫のタイミングが幅広く、面積当たりの収量も多い。計算しやすいですよね。
まずは1人で就農した自分にとっても、ピーマンが最適だったと思います。
- 収穫したピーマンの販路は?
- ピーマンは新富町の特産品としての地位が確立されているから、販路も十分にあって、困ることがありません。作った分だけ安心して売ることができます。
大半はJAに買ってもらい、注文があれば青果市場や直売所に卸すこともありますね。
売上は、JAピーマン専門部会の平均。
今後は1年で100万円ずつ売上を増やしたい!
- 売り上げは順調ですか?
- 栽培面積は15aから始めて、3年前に18a増やしました。現在33aです。JAのピーマン部会で成績の順位がわかるのですが、僕の売上はちょうど平均くらいです。(笑)
初期投資が少なかったので経営面は順調ですね。今後は1年で100万円くらいずつ、売り上げを増やしていきたいと思っています。
- 売り上げを増やすために、どういったことをお考えですか?
- 栽培面積をもっと増やす予定です。
○○さんの農地が空きそうとか、高齢化のためか新富町ってそういう情報が結構入ってきます。近隣の農地を譲り受けて、まずは、部会で売り上げが平均
より上になるよう頑張りたいです(笑)。
新富町の若い農家は、勉強会に積極的に参加したり、意欲のある人が多い。
私達と一緒に地域を盛り上げましょう。
- 現在何人で営農していますか?
- 妻と両親と僕の4人が基本です。
繁忙期は派遣会社に3人依頼して来てもらうので、多いときで計7人。
派遣会社は保険も付いているし、融通が利くので助かっています。
- 1日のスケジュールと、年間の繁忙期を教えてください
- 朝7時からハウスに出て、休憩をはさんでだいたい18時まで作業をします。
繁忙期の3〜6月は収穫が続きますが、収穫が終わって次の苗の定植までの間、2週間ほど休みを取ります。
- 休みの日の楽しみは?
- 個人の楽しみはゴルフや釣りですね。月1回は夫婦で出かける日も作るようにしています。
- 新規就農を目指す人に一言。
- 農業は「カッコいい」と思います!
新富町の若い農家たちは集まって勉強会をしたり意欲のある人が多いので、一緒に農業で地域を盛り上げましょう。
プロフィール
- 伊藤 英治さん
- 就農した年齢:27歳
- 出身:宮崎県高鍋町
- 栽培品種:キュウリ
- 栽培面積:40a
会社員としての人生に疑問を持ち、農家へ。
職人気質が芽生え、「キュウリ農家になる!」と決意
- どうして新富町で新規就農をしたのですか?
- 私は新富町の北側にある高鍋町出身で、地元の工業高校を卒業して愛知県の自動車メーカー関連会社に就職しました。仕事は常に忙しく、経済的にはゆとりがあっても心と時間に余裕がない毎日で、6年ほど勤めた頃、このまま仕事を続けていいのだろうかと不安に思いはじめました。勤めながらも自分で何か事業をやってみたいという気持ちが常にありましたが、何をやりたいかはわからずにいました。
そんなとき、母がパートで勤めていた新富町の農家から「ハウスが空くから農業をやらないか?」と声をかけられて、「よし、これだ!」と思い、「やります!」とすぐに返事しました。そのハウスの場所が新富町だったんです。
- 品目にキュウリを選んだのはどうしてですか?
- 母の勤め先の農家で、まず2年間研修を受けたのですが、そこの師匠から教わったのがキュウリ栽培でした。教わりながら「おもしろそう!」って思えたし、単純にキュウリは美味しいから作りたいって気持ちもありましたね。
- キュウリづくりをしてみていかがですか?
- これがおもしろいんですよ〜。キュウリってすごく成長が早いんです。毎日状況が変わって、手をかけた分だけ変化がわかりやすくて。生産するうちに職人気質のようなものが芽生えてきて、今はとにかくキュウリで食っていくんだ!っていう気持ちです。
町のサポートと師匠のおかげでスムーズに独立。
人とのつながりを大切に、地域内外で情報交換を行う。
- 独立するとき、新富町のサポート体制はどうでしたか?
- 新富町は、やはり農業の町だからか就農者への支援が手厚いと思いました。青年就農給付金を1年間もらいましたが、その申請でも様々な人が動いてくださいました。農家へのバックアップ体制が整っている町だと肌で感じましたね。
いろいろお世話になっているので、圃場だけでなく住まいも新富町に移して、一昨年ついに私も新富町民になりました(笑)。
- 独立後は、すぐにうまくいきましたか?
- 1〜2年目は、となりのハウスにいる元研修先の師匠にたくさん相談しましたね。その後、次第につながりが広がってきて、第2の師匠と呼べる方とも出会え、そのおかげで解決できたことも多々あります。私の場合、人とつながりによってここまで成長できた気がします。本当にありがたいなと思いますね。
- 農業の知識を深めるためにやっていることはありますか?
- これも人とのつながりですが、とても勉強熱心な高知県の資材業者さんと仲良くなって、一緒に視察に出かけたり、情報交換したりしています。今はスマホですぐに情報を共有できるし、遠くにいても良い関係を保てます。地元では、若い農家で集まって自主勉強会をしたり、酒を飲みながら情報交換をしたりしていますね。
農業のイメージを覆したい!
単収UP×作業効率化で、次世代に農業を引き継ぐ
- どういったところに出荷していますか?
- 私も、就農当初は師匠にならって市場に出荷するのみだったのですが、収量も増えてきたので、JAにも出荷するようになりました。JAは価格が安定しているところがメリットで、市場は需要があるときに価格が跳ね上がるところが魅力ですね。その価格変動をみながら出荷先と出荷量を調整しています。
私のやり方は従来の方法とは違うかもしれませんが、今後は農家が自由に出荷先を選んでもいいんじゃないかなと思っています。
- 今後の目標はありますか?
- 今、1反(10a)あたりの売上は700万円くらいですが、まだ単収を上げることは可能だと感じています。今後5年で単収を1000万円まで引き上げたいと思っています。
あと、キュウリは40aが1人で栽培できる面積の限界とも言われているんですが、それを越えられる栽培技術を身につけたいです。作業を効率化して、高齢者でも働ける環境が作れるといいなって思います。農業=キツい!のイメージを覆して、活気あふれる農業を目指したいです(笑)。
私もまだまだ発展途上ですが、私とつながってくれた人たちへの恩返しも兼ねて、農業を次世代に受け継いでいくのが役割かなと思っています。新富町も、まわりの人も、自分も、みんなが良くなっていけるといいですね。
プロフィール
- 大西 雄一朗さん
- 就農した年齢:22歳
- 出身:宮崎県新富町
- 栽培品種:ミニトマト
- 栽培面積:30a
土地を守れ」祖父の言葉を胸に農業にトライ!
農閑期には、趣味を楽しむ生活サイクルが確立
- 地元・新富町での新規就農。実家の家業は何でしたか?
- 父は酒屋経営で、祖父は牛の繁殖農家だったので、新富町内に農地がありました。小さい頃から、将来は酒屋になるか、農家になるかを考えていましたが、祖父に「農地を守れ」と言われて育ったためか、酒屋を継ぐより農地を守るほうに徐々に気持ちが傾きましたね。
商業系の高校を卒業しましたが、卒業後は地元の農業大学校で農業の基礎を学ぶことにしました。
- では先祖代々の土地で農業を?
- いいえ、ちょうど15aの中古ハウス付きの土地を借りられたので、別の土地でスタートしました。
そこで生産効率を上げることができ、経営の目処も立ってきたので、祖父の土地に15aのハウスを建てて栽培面積を増やし、今は合計約30aでミニトマトを生産しています。
研修先の農家さんには技術指導だけでなく、農地探しもサポートしてもらいました。
今も人手が必要な時期を見越して手伝いに来てくれます。
- 15aの中古ハウス付きの土地は、どうやって探しましたか?
- 当時は知らなかったのですが、どうやら研修先の農家さんとそのお兄さん(受入農家の出口さん)が、知り合いに農地がないか聞いて回って、探してくれたようです。農林振興局の方も探してくれたのですが、研修先の紹介物件のほうが近くて便利だと思い、そちらを借りることにしたんです。
- 研修先はどこから紹介されましたか?
- 普及センターに行って「トマト作りたいんです」と相談したら、町内で中玉トマトを作っている農家さんを教えてくれました。研修先が、ちょうど中玉トマトからミニトマトへ少しずつ切り替えている頃で、研修中はミニトマトの栽培を学びました。
- 研修先の農家さんは、技術指導以外もサポートを?
- ええ、土地紹介もですが、独立した今でもうちのハウスに来てくれて、人手が必要な作業を手伝ってくれます。
栽培品目を決めるときにも、今後安定して収入を得られるのはミニトマトだと教えてくれました。正直私は、中玉トマトがいいかなと思っていたんですが、今となってはミニトマトを選んで良かったと思います
- なぜミニトマトを選んで良かったと思いますか?
- 農業大学校の授業で、露地栽培はたくさん収穫しようとすると、広い土地と大きな投資額が必要であると学びました。でも施設園芸であれば、コンパクトな農地でも収益が上げられ、投資も抑えられるからです。
それに、JA児湯のトマト部会で、ミニトマトは農家戸数が増え、売り上げも着実に伸びてきていて、ピーマンほどではないですが、地域の代表的な生産品目になってきたと感じます。
- 独立就農して9年目ですね。環境は変わりましたか?
- 就農時は、毎日やるべきことを洗い出して、どうこなすか、がまず第一の課題でした。それができるようになってから、ようやく楽しくなってきた感じです。5〜10月の約半年間は、ほぼハウスに缶詰状態ですが、それ以外はゆとりを持って過ごせています。趣味のボルダリングが農閑期の楽しみの1つです。
様々な品目を生産している若手の勉強会は刺激にもなるし、新しい気付きも得られる
- 先ほどトマト部会の話が出てきましたが、日々の情報収集はどのようにされていますか?
- 新富町は若手の新規就農者が多いので、定期的に勉強会を行っています。品目はトマトだけでなく、ピーマンやキュウリなど、様々な品目を生産しているメンバーが集まるので、普段入ってこない情報も手に入れることができ、すごく勉強になります。
先日、児湯地区のグループで行った視察や研修も勉強になりました。それ以外にも、農業資材の営業マンが教えてくれるセミナーなどに行くこともあります。
- 勉強されたことは実践で活かされていますか?
- 今年は、新設したハウスでロックウール耕による養液栽培に挑戦しました。成果としてはあげることができませんでしたが、改善すべき点が多々見つかり、今さらに勉強中です。やはり情報は仕入れるだけでなく、やってみないと意味がないですね。
- 今後やりたいことはありますか?
- 農業に関する新しい技術や設備など、すごく興味はあるんですけど、実際取り入れるとしたら初期投資が必要。勉強したり試してみたりしながら、どんどん先端技術は取り入れていきたいですね。
研修先でしてもらったことを、
今度は私が受け入れ先として研修生にしたい!
- 地域の農業を支える一農家としての目標は?
- 私がここまでやって来られたのも、役場やJA、研修先の農家さんや先輩農家さんのおかげ。自分もいずれ研修生の受け入れをして、農業のたすきをつなぎたいと思っています。
地域としても、トマト部会全体で品質をそろえ、レベルアップしていきたい。「児湯のトマトは美味しいよね」って言われるのが夢です。
- 新規就農を目指す後輩たちへ、一言。
- 私の場合、農家として独立して、人に使われないところが心地良かった(笑)。でもその分、やるべきことはしっかりやらないと食べていけないのが現実。「農業はやったほず(やったほど)よね〜」と言われていた意味が最近わかってきました。
ちゃんと作物を管理して出荷すれば収入になります。栽培面積を増やせば増やすほど収入が上がります。
頑張った分だけ、応えてくれるのが農業です!
プロフィール
- 和田 哲也さん
- 就農した年齢:36歳
- 同居家族:妻と子ども3人
- 出身:岡山県
- 栽培品種:ミニトマト
- 栽培面積:25a
3番目の子どもは生後2カ月!
それでも決めた岡山から宮崎への移住。
サーフィンで好きになった宮崎で、「農業」という選択
- 新富町で新規就農したのは、なぜですか?
- 「サーフィン」です。夫婦でサーフィンが好きで。岡山で共働きしながら、年1回連休を使って宮崎へサーフィン旅行に来ていたんです。
もう宮崎が好きになりすぎて、いっそのこと住みたいと(笑)。
- 奥様はどんな反応を?
- 「いいんじゃない?」って(笑)。もちろん、不安があったから何度も何度も家族会議しましたよ。3人目の子どもがまだ生後2カ月で、家も新築で建てたばっかりだったんです。
- どのような流れで就農したのですか?
- 岡山では私が鉄筋工の仕事を、妻が保険関係の仕事をしていました。その頃は家族と関わる時間がほとんどなくて、宮崎に移住するなら二人で行える農業をしたいなと考えました。
まずは、インターネットで調べて宮崎県農業振興公社に電話して相談するところから始めました。3つほど紹介を受け、研修先の方との相性や街の雰囲気から新富町の隣町・佐土原町の研修先に落ち着きました。
- どのような研修だったんですか?
- 生産する品目にこだわりはなかったのですが、研修先がショウガとミニトマトを生産しており、最初の1年は自分が研修を受けてショウガを生産し、2年目は育児をしていた妻も加わり2人で研修を受けました。品目は私が引き続きショウガを、妻はミニトマトを習いました。
- 今振り返ると、研修は厳しいものでしたか?
- いや〜キツかったです!ある程度の広さを任されて作業していたので、なんとかやりきらなきゃと必死でした。
その苦労が独立後の今に生きていると思いますよ。
- 今もサーフィンを楽しんでいますか?
- 時々…ですね(笑)。
最近は、前より時間のやりくりができるようになってきました。もっとサーフィンの時間が取れるように…頑張ります!
中古ハウス付きの農地を紹介してくれたのは、子どもの保育園の先生。
宮崎の人たちの温かさに支えられた移住・独立就農
- 今の農地やハウスは、どのようにして手に入れたのですか?
- 独立前に中古ハウス付きの農地を紹介してくれたのは、子どもの保育園の先生でした。
地区の仲間に入っていろいろ顔を出すと、みんな「頑張ってね〜」って応援してくれる。新富町は自衛隊基地があるから、人の出入りに慣れているんでしょうかね。私たちを普通に受け入れてくれましたよ。
- スムーズに独立できたんですね。
- いえ、実はうち、自己資金がほとんどない状態で始めたので、初期投資はできる限り抑えました。購入できた中古のハウスは鉄骨むき出しで錆びていたので、2人でペンキ塗りからスタート。これが大変でした!
でも周りの人たちから頑張るパワーをもらい、やりきりましたね。
- 生産を開始して、収穫量など経営面はいかがでしたか?
- ミニトマト栽培も、独立1年目は研修のときと全然違って大変でした。
場所が違って土も違えば、同じやり方ではダメなんですよね〜。でもその年はミニトマトの価格が高かったので、収量が少なくても何とか大丈夫でした。JAの部会や現地検討会などで質問したりして情報をもらい、経営を立て直すことができました。
- 補助金や各種サポートは活用しましたか?
- 就農時に申請書を出して青年就農給付金(新富アグリカレッジでも活用の案内をしている農業次世代人材投資資金)を利用しています。児湯農業改良普及センターから営農指導の方が来てくださり、税金を含む経理面も丁寧に教えてくださったことも、ありがたいサポートでしたね。
- 就農時に、その他苦労されたことはありましたか?
- ミニトマトが収穫適期で収穫したいのに、人手不足で本当に困りました。夫婦二人で朝から晩まで収穫して、それでも手が回らなくて…。そんなときに声をかけてくれたのは、ある先輩農家さんでした。
元々は、ハウスでピーマン栽培をされていた方なのですが、今はパートとして勤務していただき、我々を助けてくださっています。経験者なのでこちらが教わることも多いです。
改めて私達夫婦は、地域のみなさんに支えられて、生活できていることを実感しています。
新富町では不自由なく子育てできる。
人のつながり・温かさを感じる街
- 住居は不動産屋で探したのですか?
- いえ、それが不思議なことが起こりまして…(笑)。就農の手続きのために宮崎に来て、子どもとホテルで朝食を食べていたときに、1人のおばあちゃんが声をかけてきて。宮崎に来た理由を話すと「じゃあ私が住むところを探してあげる」と言うので、連絡先を交換したんです。
そんなうまい話はないだろうと忘れかけていた頃、電話が入って、新富町の物件を紹介してくれたんですよ。びっくりしました(笑)。6年住んで、今はその場所に家を新築しました。
- 新富町の暮らしはどうですか?
- 不自由することなく楽しんでいます。最近小児科が新しくできたことが、子育て世代に朗報でした。しかも新富町は子どもの医療費が安い! 高校生まで500円/月なんですよ。
あと、野菜のいただきものがたくさん(笑)。うれしいですよね。
少しずつ成長を実感!
今後は投資のための借り入れも必要
- 就農4年。今の感想は?
- 想定外の苦労もありましたけど、頑張った分、収入も上がるし、命令されずに自分がやりたいことをやっているんだという感覚があり、充実しています。
- 新規就農当初の計画と今を比較すると、どうですか?
- これが意外と、当初の計画とさほど違わずに経営できています。
毎年少しずつですが、右肩上がりに収量が伸びているのがうれしいですね。
- 今後の目標や展望は?
- 青年就農給付金は期間終了間近なので、もっと収量を上げて売り上げをのばしていかないと。JAのミニトマト部会内で、先輩たちと張り合えるくらい実績を上げていきたいです。
それに、うちのハウスは古いから、これに投資するより新設したほうがいいかなと思っていて。返済を考えると早めに投資した方がいいので、借り入れも視野に検討中です。
- 新規就農を目指す若者に一言。
- 就農時の設備投資は重要です。
その後の収穫量などに影響しますので、ビニールハウスなどの設備は、新品か程度のいい中古をオススメします!
プロフィール
- 黒木 寛一さん
- 就農した年齢:32歳
- 同居家族:妻と2人
- 出身:宮崎県日向市
- 栽培品種:キュウリ
- 栽培面積:40a
神戸で物流関係の仕事に就いていたが、夫婦揃って、農家に転身。
農地と中古ハウスが見つかったのが新富町就農のキッカケ
- 新規就農に至ったキッカケは?
- 私は宮崎県日向市出身で、大学進学で神戸に行き、そのまま物流関係の職に就きました。
同じ大学だった妻と結婚したけれど、お互いの仕事が忙しく、疲れ切って会話もなくなってしまい、面白みのない生活で…。何のために結婚したんだろうって思い始めたんです。会社での自分の代わりなんていくらでもいる、もっと大切な人と一緒に過ごしたい、一緒にできる仕事をしたいと思い、それなら「農業」だと。
- どうして宮崎を選んだのですか?
- 最初は妻の実家に近い関西圏で探そうと考えていて、休日に新規就農の窓口
に相談に行きました。でも2人で「新・農業人フェア」というイベントに行ったとき、宮崎の案内ブースでの説明がとても分かりやすかったんです。
宮崎は温暖な気候だし、施設栽培のメリットはある。やれるんじゃないかって気持ちになりましたね。
- 移住したタイミングは?
- まずは私ひとりが「みやざき農業実践塾」の始まる7月に合わせて退社し、1人で宮崎市に行きました。
研修を受けながら農地を探してもらっていたところ、新富町で4反ほどの広い農地と中古ハウスが見つかって。1年後に妻も移住して、新富町でキュウリ栽培を始めることができました。
ベテラン農家に技術でかなわない部分は機械で補う。
経営効率を高めている人は、ちゃんと投資している!
- 独立の際に補助金等は利用しましたか?
- 青年就農給付金(新富アグリカレッジでも活用の案内をしている農業次世代人材投資資金)を利用しました。それとは別に、新富町からの補助金もありました。
最初はある程度投資が必要なので、JAを通して金利のかからない借り入れもしました。ベテラン農家さんに技術でかなわない分、機械で補わないと(笑)。
農業経営を上手にやっている人を見ると、ちゃんと投資しているんですよね。
- 実際に就農してみて、どうですか?
- 2人とも今の生活にほぼ満足していますよ。
施設栽培は宮崎の強みだし、キュウリを作っている先輩農家さんはたくさんいるから生の声を聞くことができる。先生が多いから選んで良かったです。
それにキュウリは、成長が早くて反応がわかりやすいところが面白いし、何か問題が発生しても、農業の場合、その問題が目の前にあるんです。
前職と違って対処がしやすいなって感じます。
- 何人でハウスを切り盛りしていますか。
- 私たち夫婦と、お昼までの従業員5人(40〜60代)です。従業員の意見も取り入れながら、自分の考え方を伝えて理解してもらい、“まじめに、丁寧に”作業をしてもらっています。
おかげで今は面積40aを作付けしています。
今後、空きハウスが出てくる可能性も!
いまは規模拡大のチャンス
- これからの目標は?
- 感覚として、もっとやれるなと感じているので、まずは規模拡大。2反広げて従業員も4人ほど増やし、売上4,000万円を目指したいですね。
新富町は今後、空きハウスが増えると言われているので、規模拡大のチャンスかなと思います。